ブログ移行作業中
気が付けば最初の投稿から今日までで約13年が経過をしていますので、案外と記事も多く、また作った詩の数も多いのでなかなか大変ですが、少しづつ独自ドメインのワードプレスへ移行をして参ります。
独自ドメイン 「愛はここで生きている」は下記URLから、見る事が出来ます。
https://www.love-is-living-here.net/
当サイトのブログコンテンツの移動作業中
色々と忙しくなってまいりまして、最近はなかなかブログを更新していないのですが、実は、この「愛はここで生きている」を独自ドメインで運用をしようと思い、移行作業をしておりました。
サーバーを借りてワードプレスの独自ドメインで運用をしようと思います。
http://www.love-is-living-here.net/
一応、公開をはじめましたが、コンテンツはまだ何も入っていません。
こちらで書いた文章を整理しつつワードプレスに移動をさせていこうと思いますが、案外とコンテンツの量が多くなっていたので、なかなか整理がつかずに、日々の忙しさにかまけて何も出来ていませんでした。
けれども、せっかく新しい独自ドメインでの運用に移行をしますから、コンテンツをFC2以上につくり込んでいけたらと思っています。
個人の活動がここ数年はあまりしていませんでしたから、新しくコンテンツを作成をして活動をはじめていきたいと思う次第です。
最終的な結果がわかっていても・・・笑うんだよ

いつか、肉体と同時に記憶もなくなってしまう事を誰もが知っているけれども。
どのように努力をしようとも、それは絶対に不可避だけれども・・・
決して今生きている事に意味がないなんて思わないでしょう?
結果は誰もが知っているけれども、その結果がこようとも今日1日だけ笑ってみるんだよ。
そうすれば、きっとこの瞬間が真実になると、そう思うから・・・さ。
抜け殻
しっとりとした空気がカラダにまとわりつき、とりあえずのところ君の戦いが終わったことを告げていた。
君がこの世界から居なくなった。その証拠に君が入っていた抜け殻が今、僕の目の前でただの蛋白質の塊となってそこに横たわっているのだ。まだ、温かいカラダがそこにあるけれども、今から、そのカラダは少しづつ熱を失い本当にただの抜け殻となっていく。
もう、涙は出なかった。全く涙は出なかった。ただ、強い君が、最後の最後まで頑張ったという事、いつも笑っていた事、その事実が僕の記憶に刻みこまれ、それは永遠になったのだ。だから、本当に君の存在が消えたわけではないのだ。世界の中で、僕は君を認識している限り、また記憶の限り、君の記憶はだんだん美化され、より美しいもにへと変わっていくから。
No1 君が目を覚まさないように
周囲の人々が君がこの世界から居なくなるための準備をしていく。世界は君が存在しない世界への変わるための準備をしていく。病死は君を知る親族が駆けつけ、病院のスタッフも忙しく動き回っていた。
騒がしくて、騒がしくて、せっかく君がやわらかく瞳を閉じたというのに、あまりにうるさくて目を覚ましてしまうのではないかと心配になるほどに・・・騒がしく、君が世界からいなくなるために周囲は準備をしていく。
君の父親が僕に近づいてきて、僕の肩に手を置いた。
「最後までありがとう。私の大切な娘を他人の君が最後の最後まで・・・」と君の父親の声は震えていた。
「片岡君。本当にありがとう、大切な私の娘を最後の最後まで、ありがとう。ただ、君にも、こんな経験は本当に重いものだと思う。けれども、あまり重荷に思わずに歩んで欲しい。私は君には感謝をしてもし切れないよ。だからこそ、君には前を向いて、歩んで欲しいと思っている」と涙ながらに君の父親は僕にそう言った。
君は、父子家庭で育った。父、娘、父方の祖母との3人で暮らし育ってきた。母親はいなかったけれども、祖母が母のように君の生活の世話をし君という人はとっても優しく愛情に恵まれて育ってきたのだ。
父親も、授業参観、運動会、学芸会など必ず出席をしてくれていたそうだ。子どもの頃のことだから、それなりに母親が居なくて辛いと思った事などもあったそうだが、やはり大人になってからは、父子家庭であったけれども、父親は優しく誠実な人で、祖母がいて、そんな家族の中で育ったことに感謝しかないと話していた。
そんな優しく強い君のことが僕は好きで、大切で仕方なかった。
病室には君の祖母も駆けつけていた。息子の娘、つまりは孫娘をまさか見送ることになるとは祖母も癌の進行と共に覚悟をしていたはずだけれども、やはりリアルには想像し覚悟をする事は出来なかったはずである。
しかし、君の祖母の方が気丈であり、真っ直ぐと真剣に落ち着いて言葉を発した。
「片岡さん、すみませんね。私の孫娘を最後までありがとう。他にいくらでも女性はいるだろうに。若い男性のあなたにはあまりに重い現実を。でも大切な孫娘だから、私は嬉しかった。きっと、孫娘も幸福であったに違いないわ」と。
「いえ、僕は今も尚、愛しいと感じます。」
「でもね、片岡さん、あなたはまだ若い男性だわ。この娘も幸福だったと思うから、気兼ねなくあなたはまた大切に出来る女性を見つけて、そして幸福になってね。それが弔いになるからね」
「ええ。でも、今は、彼女を静かにさせてあげたいと思うんです。素晴らしい時間でした。彼女が最後の最後まで笑顔であったことを僕は一生の忘れません。僕の肉体が限界を迎えるその日まで」
「ありがとう・・・片岡さん」と言い、君の祖母は少しだけハンカチで目頭を押さえた。
君の父親、祖母、そして僕の3人はしばらく無言のまま、時間がゆっくりと流れていった。
ようやく、君が目を覚ましてしまうのではないかと思うほどのざわつきを感じなくなり、僕は少し安堵をした。
そして、僕は君の顔にもう一度目をやった。この世界から消える瞬間の、君が入っていた殻に目を向けた。
No2 生き方
僕は君を失ってから・・・いままで君と出来る限り過ごそうとしてきた数年があったから、突然やる事がなくなってしまった。
もちろんのこと仕事はしているけれども、日々の殆どをこの数年は君と過ごすこと、笑う事、面白いことを探すという事だけに集中をしてきたから、僕は生きているのに、まるで抜け殻のようになってしまった。
この数年の全ては、とにかく「君と笑いたい」という事であったために、君がいなくなってしまった日々の中で、自分が何をしたいのかという事をすっかり見失ってしまったのだ。
けれども、悲観的な感情ではなく、ただあまりに広く遥か遠くの未来まで永遠に続くかのように見える空間だけがあるような感じなのだ。ただ、そこに悲観とか絶望とか、そのようなものは全く感じなかった。
ただ、無機質な真空のような空間がそこにあるという感じだった。
「抜け殻」なのだ。この世界にいながらにして「抜け殻」となってしまったように感じた。
僕の毎日はただ、ゆっくりと無機質に流れていくようだった。目の前にはただ事実があるだけだ。それを咀嚼して解釈をするというような事もしなくなった。空なら空があるだけ。騒ぎ声がするなら、声がするだけ。まるで、何かを感じるという事がなくなった。
心というものが振動をしなくなったのだ。
でも、それが不幸な事だろうか?そんな事も感じなかった。
ただ、世界は事実として、僕の目の前に広がっているのだ。それ以上でも以下でもなく、そこに意味があるわけでもなく、意味がないわけでもなく、事実として、僕の瞳は、この世界をただあるがままに映して、脳はそれを処理をしている。ただ、それだけの事実がそこにあるのだ。
生き方を決める必要があるのか、必要だから生き方が決まるのか?
No3 両親
僕は少しばかり実家に帰ってみることにした。
僕の両親も、君という人が亡くなったという事を勿論知っている。なにせ君という人と僕は婚約をしていたのだから。
実家の玄関を開けて「ただいま」と声をかけた。
定年を迎えた父は玄関まで出てきた。
「おう。電話で言ってた時間よりも早かったな」と父は言った。
「そうだね。たまたま早くなったんだ」
そこに母も奥から出てきて、「大変だったわね」と心配そうな表情で言った。
「少し疲れたよ」と僕は言って靴を脱ぎ久しぶりの実家に上がって父、母とキッチンの椅子に座った。
「最近はどうだ?心は落ち着いたのか」と父はお茶を啜りながら言った。
「そうだね。まあまあかな。しかしながら、やはり少しばかり疲れているよ。何もやる気が起きないんだ」
「そうだろうな。こんな事は、普通ではあまり経験をする事はないし、お前の経験は随分と少数でだろうから」と。
父も母も僕に気を使ってくれているようだった。
僕は実家の仏壇に行き実家に帰ってきたことを先祖に報告をし、そして他界をした姉の写真の前で姉に語りかけた。
「姉ちゃん。そっちに僕の大切な人は行ったか?今何を話しているだろうか?もし、僕の大切な人に会ったら、よろしく言っておいてくれないか」と。
僕は姉が居たが、姉が18歳で他界をした。僕はその時12歳であった。
僕の両親もまた娘を亡くしたいる体験があるのだ。だから、君という人が亡くなってから、僕の父も母も君という人の父、祖母のことを大変に気にかけていた。君という人の父と、僕の父は年齢が近く、割と気が合うらしく2人して飲みに出かけたりと交流が随分とあったのだ。
父からすれば、君という人の父は友人なのだ。友人も娘を失い、自分も娘を失っている。亡くなるまでの過程は異なるとは言っても、男親としての気持ちは同様のものがあるようで、父は君という人の父を慰め、1ヵ月に2~3回は飲みにいくそうだ。
僕は仏壇の部屋から出て、またキッチンに戻り椅子に座った。
そして、しばらく父も母も僕も無言のまま、お茶を啜っていた。
4 お見合い
実家に帰ってきてから、2週間が経過していた。自分で起こした会社で、今は従業員もいるから、僕がそこにいなくても全く問題なく会社は回っていた。
僕は31歳で、弱小ながらも会社は軌道にのっていた。
夜、父母と食卓を囲んでいるときに父が口にした。
「昨晩な、田所さんから、お前に良い相手がいるとお見合いの写真を持ってきてくれたんだ」と父は言った。田所さんというのは、君という人の苗字だ。つまり、君という人の父が僕の見合いの相手を探してくれたという事だ。
「なんで、また?」
「田所さんが言うにはな・・・まあ、お前はまだ若いから、亡くなった自分の娘のことばかり考えていてはダメだからという事で、探してきてくれたんだ。随分と気を使ってくれているんだ。彼も娘が亡くなったばかりで辛いというのにな。見合いをするだけしてみてはどうだ?」と父は言った。
「そうね、せっかく好意だし、田所さんも辛いだろうに、そうして気にしてくれているのだからお見合いをするだけでもしてみたらどうかしら?」と母も口を開いた。
「そうだね。お見合いするだけ、しようか」と言って僕は味噌汁を啜った。赤だしの味噌汁と、母と父が2人で作ってくれている料理はやはり美味しいと思った。元気は出ないが、父と母が2人で作る食事は旨く、自分の食欲を考えると落ち込んでいるわけではないという事だけは分かる。
「見合いか・・・」と僕は一言小さく呟いた。
次回につづきます。
さあ、もう少し仕事をしよう
結局のところなんだかんだと言って仕事が好きなのでしょう(;´∀`)
また、異なる新しい会社を建てて軌道にのせようとしています。
ひとつの会社を軌道の乗せることは非常に大変なのですが、それでも、またそれをやってしまうというのは・・・
仕事というか、社会的な活動をする事自体が好きなのでしょう。
お金を儲けるというのは、結局のところは人の役に立つものを提供しなければなりませんから、お金儲けが出来るというのは基本的には誰かを助けているという事に他なりませんから、より良いビジネスをもういくつか所有をする事が出来ればと思います。
まだまだ!!若い・・・!?
31歳・・・:(;゙゚'ω゚'):
まだまだ、若手起業家でいけるうちに、どんどんやっていきたいと思う今日この頃です。
案外と自分が変わったと感じた
友人と起業をして、そして会社は軌道に乗り、僕はまだ、諦めずに仕事をしているのだけれども・・・
「愛」という事を考える際に、そこに物凄く大きな責任を感じる事が大きくなり、いま随分と大人になり、独自の価値感の中で正直にしてきたけれども、その中で生成された責任感は、より「愛」という僕の中の概念を大きく成長させ、それを体言する事が出来るほどの人間性がいまだに発展途上であるという事を痛感したわけです。
力を蓄えていく事、経済力をつける事、勝つ続ける事が出来る知恵を持つこと、リスク回避の知恵を使う事、などなど、色々な事は高まったつもりだけれども、なかなか能力的に上がっているのか分からない部分もたくさんあるわけです。
まだ、未だにそれを見つけようとして、そして、まだまだ目標としていた地点に到達をしていないいま、まだまだ高みを目指してどんどんとやっていかなければならないと。
少しばかり窮屈になったような気がするけれども、自由という責任の重さも感じている。自由とは自由ではなく、より自分で受け止めていく強さを持たなければ精神がイカれてしまう。だから、こそ強さも持ち続けて壊れないようにしていかなければならない。
まだまだ、上に行きたい。
同じ事をやり続ける強さを、淡々と何かを続ける強さが欲しいと、思うのです。
また、我慢ではなく、それをやり続ける事が出来るような、本当に好きという物事を見つけたいと思うのです。疲れを通りこして熱中をして、満足感を覚える事が出来るようなことを、見つけたいと思うのです。
多分、なんとなく辛いとか果て無しないと考えていても、きっと経済的、ビジネス的にもっと上にいきたいという事、そのためにする行動が好きなのかもしれないとも思うのですが、まだまだ辛さを感じる事、ネガティブな頑張ってるという事も感じますし、少しばかり迷いがあるという事も感じます。
だから、こそ強く、それをやり続けた時間を誇らしく思える事を、見つけたいと思うのです。
よし、まだ行ける!!
さあ、もっと、もっと上に、上に行こうか!!
きっと、新しいビジネスプラン、さらに飛躍が出来るビジネスを構築する力がきっと自分にあると確信をして、考え続けて、手を伸ばし続けていこうと思うのです。
人間はひとつ事しか出来ない事をしっかり知る事
案外と同時に何かをこなそうとしてしまうものですが、文章を書いている際には、その文章しか物理的に書けません。
パソコンの設置数を多くしたところで、たくさんブログを開けたとしても、結局は文章を書く際には、そのひとつのことしか出来ません。
決して並列して行う事は出来ないのです。。。
広告を作る仕事をしていると基本的にパソコンの画面上にはブラウザーが開きっぱなしにして参照をしながら行う事が多いので、どんどんと画面が埋まっていきます。
でも、利便性を高めているだけで、画面にいくら表示できようとも、実際のところは並列して何か物事を行っているわけではありません。
その事をしっかりと感じて、その点に関しては諦めて、結局はひとつのことしか出来ないという事を自覚して、なるべくあせらないようにして、仕事をこなしていかないと精神的に参ってしまいます。
人間は結局のところ、ひとつのことしか出来ないのです。と自分に言い聞かせながら、ひとつひとつ仕事をこなしていこうと思う今日この頃です。
あまりに光が眩しいと・・・
久しぶりに何かを書いてみようと思いました。
短編小説にしようと思ったのですが・・・
文章を書き始めたら、久しぶりに面白く書けそうなので、これを続けて書いていけたらと思います。
お時間があれば、しばらくお付き合い頂ければ幸いでございます。
序章
「あまりに光が眩しいと、逆に光を失ってしまうからもしれないから・・・」と君という人が夏の暑い昼間のカフェでそう言った。
これは、君という人が僕に与えた命題で学生の頃からの君という人の、ことある事の口癖のような言葉。
今日も君が注文したのはアイスオレンジコーヒー。
はじめて君とお茶をした大学生の夏、アイスオレンジコーヒーを注文したとき、「え?」と思ったけれど、実際にアイスオレンジコーヒーを飲んでみるとこれが案外と美味しいから驚いたものだ。
君という人は、夏はエアコンの効いた図書館、自宅マンションでずっと本を読んでいるような人だった。
それは学生のあの時からずっと変わっていない。変化を好むわけではないけれども、変化のないものを変化の激しい社会の中で見つける事が好きな人で、風変わりと言えば風変わりな人だった。
けれども、僕はそんな君と話をしている時間を好み週に1度くらいは一緒に昼間のカフェに軽い食事をして会話をするのが、もう数年も続いている。
学生の頃は君という人とあまり話したことはなかった。
1君という人との出会い
2005年に僕は大学2年生だった。その頃の僕は、サークル活動をする事もなく、ひたすら法律の基本書を読んで過ごしていた。その頃は弁護士になりたかったのだ。
2005年に調度法科大学院の制度が出来て、各大学は法科大学院を設置に躍起になっていた。また法曹界もざわめいていた。もちろん法学部に在籍をして司法試験の突破を目指していた人間も、また大学を卒業して司法試験に挑戦をし続けている人間達にも動揺を与えた時期であった。
その頃はまだ弁護士に仕事はギリギリあった。「弁護士になるのなんて辞めておけ」と言われるような時代が来るのはその3年後くらいからだ。
法学部に入学してからというもの、僕はずっと基本書をひたすら読んでいた。ときどき社会思想、経済学の学術書や、西洋哲学の学術書も読んでた。
大抵僕は大学の図書館にいた。講義がない日でも僕は大学の図書館で過ごす事が多かった。そして本を読んで過ごしていた。
図書館の常連というのは、大抵は大学で何か真剣に学術を修めようとしている人が多かった。単位が足りないくて、その補習をするためのレポートなどをまとめている人間もいたけれども、そのような人間は図書館の常連というわけではなく、それが終わればすぐにいなくなってまた顔を見なくなるから、図書館の常連というのは大抵は固定されていた。
大学の図書館での常連というのは顔見知りになったとしても、あまり関わる事はない。
互いにそれぞれの人生を真剣に歩むために、この瞬間に学術に打ち込んでいるのだから。だから、それぞれに他人を気にしている余裕もないし、若しくは、他人が気にならない程に学術に接していたいという人間もたくさんいた。だから、あまり他人の顔を覚える事もなかった。
その図書館の常連としていたのが君という人であったらしい。
僕は君という人も図書館にずっといたなんて事は後から聞かされて知ったくらいだった。
君という人と会ったのは、他愛もない事だった。社会思想史の講義での事だ。20人程度しか学生がいない人気のない講義であったけれども、僕は社会思想の講義が好きだった。
社会思想というのは、「政府の意義」「分業社会」「スミスの「国富論」などを取扱った、言わば社会というものがどのように形成をされているのかという事を説く学術であった。社会学に少しばかり哲学的要素が入ったものと思ってもらえれば分かり易い。
その講義での事、グループに分かれてディスカッションをするというものがあったのだ。その際に教授が適当にわけたグループで一緒になったのだ。
たった、それだけの事なのだけれども、君という人の主張が冷めているというか、現実的というか、でも冷たいわけではないという主張であったのが僕にとっては気持ち良かったのだ。だから、もっと話をしたくて、その考え方を聞きたくて僕から「あの、もっとこう言った話題を喋りたいのですが、ときどき大学構内だけで結構なので、お話して頂きたいのですが・・・」と声を掛けたのだ。
君という人は不思議そうに僕をまっすぐ見つめて、何かに気がついたかのようにはっとして小さな声で「あ...図書館の枯葉のしおり」と言った。
「え?」と僕は君という人の言った事が意味が分からず聞き返した。
「ごめんなさい。いつも図書館にいますよね。私もいつもいて、なんとなく知っていて・・・よく図書館で顔を見る人に勝手にあだ名をつけていたんです。失礼でしたね・・・ごめんなさい」と君という人はそう言って少し気まずそうにした。
「いえいえ。そんな失礼なんて事はないですから。でも、枯れた本のしおりって・・・僕ってそんなに枯れているように見えましたか?」と僕は自分が何か年寄りっぽいのかと心配になって問い返した。
「そういう事ではなくて、なんて言うか、イマドキ珍しいと思って。本をずっと読んでいるから。ふと気がついたときにすごく古い本を書庫から出してきて読んでいるから、なんだか、過去の本に置き忘れされたしおりみたいな人だと思って」と君という人は、説明してくれた。
「なんだか良く分からないけれど・・・多分悪いあだ名ではないという事は理解が出来ました」と僕は軽く微笑んだ。
こうして、君という人との会話がはじまっていく事になる。
そして君が僕に与えた命題「あまりに光が眩しいと、逆に光を失ってしまうからもしれないから・・・」
次回へ、つづきます